勤務状況は市中病院と比べ天国と地獄程の差がありました。病棟によっては多少の違いがあるのでしょうが、長時間の手術で抜け出せなくて患者の容態が変化しても、翌日の採血などのオーダーは午後3時までで、その後は看護師に拝み倒してしてもらうか、自分たちで採血管にラベルを貼り用意するかのどちらかです。点滴の穿刺はもちろん医者の仕事であり、極めつけは当直中の夜中2時に投薬の支持を出すと、常備薬でない場合は医者が薬剤部まで走って取りに行くのは常識となっていました。

誰が 言ったかは知りませんが、患者>看護婦>医者>犬>研修医とはよく言ったものです。給料面も最悪で、三重大学は医員(日雇い労働者)の給与は年間一定のため、ある2つの科で医員として病院でほとんど働かずに研究させていた人数が膨大だったため、その間の給料が研修医(当時月18万程度)よりも低く(月17万程度)、まともに早朝から深夜まで働いているドクターたちから暴動が起こりかけたこともありました。不可能命題さんの言っていることも正しく、毎年医員の退職金削減目的に3月30日付で首を切り、4月1日付で再雇用しており、3月31日は空白の1日となっています。独立法人化前の質問会で、もし3月31日に医療事故や出勤途中の事故があった場合、病院は責任を取ってくれるのかあるいは労災は適応されるのかと言った質問をしたところ答えはNoであり、全て個々の元医員がボランティアで行ったことであり、一切の責任は負わないとのことでした。かなりふざけている返答でした。しかも3月分の給与から長期および短期の共済年金が差し引かれているにもかかわらず、3月31日に無職扱いのため、毎年3月は支払わなくてもよい国民年金の請求までくるおまけ付きです。